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東京高等裁判所 昭和28年(う)2325号 判決 1954年12月13日

控訴人 原審検察官 小山田寛直

被告人 金正大

検察官 吉井武夫

主文

原判決中出入国管理令違反の点につき被告人に対し無罪の言渡をした部分を破棄する。

被告人を左記出入国管理令違反の罪につき懲役四月に処する。

理由

本件控訴の趣意は静岡地方検察庁検察官検事小山田寛直名義の控訴趣意書と題する書面に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

第二点について

当審において取り調べた静岡地方裁判所からの追送書類並びに本件記録によれば、原審が所論のように証人として喚問を決定された長谷川清に対し、証拠調期日に先立ち書面による回答を求め、又証人に予定されていない林雪子に対しても同様書面による回答を求めたこと並びに右各回答書については適法な証拠調が行われていないことは検察官所論のとおりである。

原審は前記のように被告人の不法入国に関する自白を措信し難いものとして出入国管理令違反の公訴事実の証明がないとしたのであるが、本件記録に徴すれば原審が被告人の前示自白が信憑力がないものであるとの心証を形成するには前記長谷川清、林雪子の各回答書がその資料の一部に供せられていることは論旨指摘のように原審第三回公判調書中右回答書を前提とした裁判官の発問があり、その後被告人の従前の供述が変更されている事実に徴するも容易にこれを推認しうるところである。

このように自白その他犯罪事実の存否に関する供述の信憑力の有無を判断するにあたり、適法に証拠調を経ない公判廷外の第三者の供述又は供述書類を判断の資料に供することは刑事訴訟法第三百十七条第三百二十条第三百四条第三百五条の法意に反し、訴訟手続に関する法令の違反がある場合にあたるものというべく、且つ右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められるから論旨はこの点において理由がある。(本件において原審の訴訟手続が所論のように憲法第八十二条裁判所法第七十条に違背したものであるとは認められない。)

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中董 判事 坂間孝司 判事 荒川省三)

検察官小山田寛直の控訴趣意

第二点一、原審は審判公開の法令(憲法第八十二条裁判所法第七十条刑事訴訟法第三百七十七条)を遵守せず、法廷外、密行に依る証拠調を為した違法がある。即ち証人として喚問した者に対し証拠調期日に先立ち詳細な書面審理を為し且又証人に予定されて居ない者に対しても同様書面審理を為し右証言回避の各書面を以て本件心証形成、訴因断定の資料に供した違法がある。右事実を本件記録と検事保証書とに依り次の如く説述する。

二、昭和二十八年六月二日原判決言渡日より同月九日迄の間に於ける本件記録には左記挙示するが如き長谷川清並林雪子事金順位に対する書面が綴込んであつたので裁判官の書面審理をした、事実が明白である。書面審理をした経過を日附順に羅列、概観すると、(一)第一回公判調書には弁護人申請の情状証人長谷川清に対する証拠調採用決定あり、(二)同年四月二十七日附長谷川清の裁判所宛「胃潰瘍に依り遠方出頭困難である旨並金正大の事を詳しく知らぬ故他の人を調べられたい旨」記載した不出頭通知の書面(記録一一四丁乃至一一五丁)(三)第二回公判調書中証人長谷川清の再呼出決定の記載、(四)同年四月二十七日附原審判事佐藤千速より長谷川清に宛てた書面回答要請書、(五)右判事の回答要請書に対する同月三十日附原審受理印ある長谷川清の回答書、(六)同日附同判事の右長谷川に対する再回答要請書、(七)右に対する同年五月四日附原審受理印長谷川清の同裁判所宛回答書、(八)同判事よりの同日附林雪子事金順位に対する回答要請書、(九)同月十五日附消印ある金順位の同裁判所宛回答書、(十)第三回公判調書中長谷川清に対する証人再呼出決定の記載、(十一)証人長谷川清に対する召喚状の送達報告書(記録一六五丁)、(十二)長谷川清の同月二十日附消印ある裁判所宛手紙(一六六丁)、(十三)第四回公判調書中証人長谷川清の証人調取消決定の記載の存在して居る事は明白であり右(二)乃至(十二)は何れも公判に於ける証拠調をした形跡が無い。

三、右資料に基き詳論するに原審は昭和二十八年四月七日第一回公判期日に弁護人申請に係る証人長谷川清の証人調を採用し第二回公判期日に右証人不出頭の為次回期日を同年五月十四日と指定し同証人の再喚問を決定した。然るに次の第三回公判期日に先立ち裁判官佐藤千速名義同年四月二十七日附長谷川清宛書面を以て本来法廷に証言内容として顕出さる可き九項目に亘る尋問事項に付書面回答を求め、同月三十日受理印ある長谷川清の回答書の送付を受けた。原審は前記二の2の手紙に依り長谷川証人不出頭を予想したのであろうが、然らば臨床訊問若しくは嘱託尋問の方式に依り証拠調を為す可きであるに不拘、証人調を決定し乍ら期日前に犯罪の成否に関する訊問事項に付き書面に依る回答を求めたのは、全く理解し得ぬ違法の措置である、而かも右裁判官の回答要請書には、先づ冒頭に裁判官が「金正大の被告事件に付き回答を求めるものである」旨明示した上「ヽヽヽヽ一、金正大の言分に依れば父は母の家に養子に入つたと言うが如何ヽヽヽ一、金正大の言分に依れば貴殿は金正大の実母の弟であると言うが如何、一、貴殿は昨年の暮か今年の正月に金正大と会つた事があるか、ヽヽヽ」等尋問事項に付書面で回答せられたいと在り其の形式内容ともに書面審理そのものであり而も発問の方式も被告人の答、陳述を先づ掲記して其の真否を問うと言う誘導形式を採つて居るのである。原審は右長谷川から同月三十日附受理の書面(前記二の(五))を以て「金正大は私の妻の母の子であり、ヽヽヽ同人は昨年二月初から三月まで私方で焼いもを焼いて居た」との回答を得たので、即日長谷川清に対し折返し更に同様形式の文書(二の(六))を以て「一、貴殿の義母の氏名住居如何、一、金正大が昨年(昭和二十七年)二月初頃から三月末まで貴殿方に居る由であるが、この事に間違いないか、一、金正大は貴殿方に居つたのは本年(昭和二十八年)一月ではないか至急書面を以てお知らせ願い度い」と前回の回答書の誤謬を暗示するが如き重要内容を含む同月三十日附回答要請書を送り、右長谷川から同年五月四日附受理の回答書(二の(七))を以て前回の文意を訂正した「金正大が昭和二十六年十一月末に私方に来て昨年三月まで居た」と言う訂正と「金順位の住所」の葉書回答を受けた。原審判事は右回答を受けるや之を資料に即日前同様の公文形式の下に林雪子事金順位宛に右長谷川と同様の尋問事項に付き書面回答を求める回答要請書((八))を送付し、金順位より同月十五日附郵便消印ある詳細な手紙回答((九))を受けて居る。其の内容は「金龍甲は私の実弟である、数十年余の昔同人が結婚して以来会つたことがないから金正大が日本人かどうか知らぬ、昭和二十六年暮金正大が私方に来たので婿の長谷川方に行かせた、ヽヽヽヽ」と言うにある。

而して原審裁判官は第三回公判期日に右各書面に基き被告人質問を為すと共に次回期日に証人長谷川清の再呼出を為す旨決定し其の喚問状を送達させた処同人より裁判所宛手紙を以て「家庭の事情で出頭を許され度い、書面で返事する」と冒頭し「金正大は昭和二十六年十二月頃初めて私方に参り昭和二十七年三月頃まで近隣のABCのゲームと言う遊戯場で勤めて居り其の後会つたことはない、金正大の生立は私の妻に聞くと豊橋の叔父さんに問合せてほしい」と言う同年五月二十日消印ある書面(記録一六六丁)の送付を受けた。次で原審判事は、第四回公判で被告に対し右手紙の内容たる事実を裏付ける為の被告人質問をすると同時に不出頭に正当の理由がないのに不拘、右長谷川証人の証拠調取消決定を為して居る。此の手紙は前記長谷川宛回答書の延長であり且証人訊問に代用するものであること手紙の文意自体に依り明白である。

四、原審は右密行書面を本件事実認定の心証形成に供した形跡の存する点を申上げる。固より原審判決には単に証拠不十分と摘示し右各書面を援用して居ないが原審裁判官は次回期日に召喚した証人に対し期日に先だち秘かに詳細な尋問事項に付回答を求め、回答を得るや被告人の供述に符合しない点に付き其の誤謬(原審想定の)を暗示し又は少くとも其の真偽を確かめる為の再回答を求め、此の回答に依り更に別個の参考人に詳細な書面回答を求めたこと前述の通りであり、此の裁判官の書面審理の上に見られる熱心、執拗な方針、態度は、法廷外に本件心証を把握しようとする熱意そのもの、其の心理状態の行動化以外のものでないのである。而して現実に右裁判官の法廷外審理の結果をそつくりそのまま法廷の審理に映写させて居る事実は、第三、四回各公判調書と前記各回答要請書並之に対する長谷川清、林雪子の各回答書(前記二(四)乃至(十二)参照)を対照すれば顕然たるものがある。其の最も代表的な部分を摘示すれば、被告人が第三回公判(一三二丁以下)で初めて密航事実を否認し始めたのであるが、其の否認の発端を為したのは、取りも直さず裁判官が前記書面審理に依り得た回答書を以て被告人の陳述を誘導した事である。即ち第三回公判調書(一三三丁以下)には裁判官質問冒頭から一、問 林雪子と言う人は被告人の父の姉ではないか、答 私は知りません、二、問 被告人は昭和二十六年十一月末から翌年三月頃まで長谷川清の家に居たのではないか、答 長谷川清方に居たことがあるが日時を記憶しない、三、問 朝鮮から船で内地に来る前か後か、答 黙して答えない、四、問 長谷川方で焼いもをやつて居たと言うが何時頃か、答 なし、五、問 被告人は去年五月頃朝鮮から密航して来たか、答 なし、六、問 被告人は長谷川の家を出てから何処へ行つたか、答 昭和二十六年末頃長谷川方の家を出てから正月二つを過した、

と有り此の一の発問は林雪子コト金順位の回答書(前記二の(八)の書面)を二の発問は長谷川清の訂正回答書(前記二の(七)の書面)の内容を夫々そつくり顕出したものである。

被告人は此の時まで「昨年七月二十二日頃密入国した事実」を認め「長谷川清方には今年正月初めて行つた」(記録二七丁裏二八丁)と供述して居たに拘らず、三回公判冒頭で右判事の二、問「被告人は昭和二十六年十一月末から翌年三月頃まで長谷川方に居たのではないか」と突如、意外な質問を受けたので面くらつて裁判官の質問の趣旨を判らないまま沈黙して居り、更に二乃至四の矢継早の発問にも黙して考え込み、六の発問で漸く裁判官の誘導を判然理解し「昭和二十六年末頃長谷川の家を出てから正月二つ過した」と答えて二、問乃至五、問を綜合した新事実を被告人自身の供述としての形で始めて法廷に表はし爾後此の線に沿つて苦しい、矛盾に満ちたアリバイ(在日中の行動)を主張するに至つたのである。即ち被告人の第三回公判以後の否認は裁判官の積極的な誘導に調子を合せて居たものであり、而も此の誘導は書面審理の核心を為す回答書の記載を唯一の資料としたものに外ならないのである。右は代表的な例証であるが原審第三、四回公判審理は其の根底に前記各回答書を随所に流されて居ることを十分窺えるのである。従つて原審は右書面審理の結果を本件心証の資料に供したものであることを明かに思料される。

五、此の如き裁判官の証人回避、書面審理は判決書に之を理由として表明されて居ないかどうかと言う形式的なことではなく、純粋に憲法の禁ずる秘密裁判に外ならない。それは例えば裁判官が審理中法廷外で証人たる可き者を私的に取調べ之に依り心証を得たと信じて自白の真実性を排斥して無罪の判決をするのと異らない。固より証拠の証明力は裁判官の自由な判断に俟つのであるが其の判断の資料となるものは、総て公開の法廷で当事者双方関与の下に検討し鍛上げられたものでなければならない。裁判官が、補充的に職権調査を為す場合も、その意図を事前に当事者に通知して公判に於ける証拠調の準備の機会を与え且職権調査自体を又は其の結果を総て法廷に顕出しなければならない(刑訴二九八、二九九、三〇三、三〇五)。原審裁判官が独善的、秘密裡に資料を蒐集し、此の資料に基いて被告人質問を試み、其の結果生じた心証に基き法廷で鍛上げられた証拠能力ある証拠の価値を排斥すると言うのは、当事者が裁判官の心証の依拠する資料を知るに由ない丈け、それ丈け、証拠裁判の上に極めて危険なものであるのみならず、自由心証を誤解し対審公開の原則を空文化する暴挙以外のものでないのである。現に長谷川清の前記四通の書面(前記二の(二)(五)(七)(十二))は重要な部分に付全部内容を異にし検事の反対、攻撃に耐え得るものでない点を見ても秘密審理の危険の観を深うするのである。茲に刑事訴訟法第三七七条を以て対審公開規定違反を絶対的上訴理由とした所以のものがあるのである。

六、最後に一言し度いのは、原審が検事控訴後記録を整理し昭和二十八年五月二十日附消印ある長谷川清の書面(前記二の(十二))のみを記録に編綴し其の他の長谷川清、林雪子との各往復書面(前記二の(四)乃至(九))を取外して居ることである。此の高裁送致記録のみに依ると右(十二)の書面は長谷川清が自発的に第四回公判の証言に代えて書面回答をした様な外観を呈して居るが事実は前陳の如く裁判官の二回に亘る回答要請書(右二の(四)(六))に対する回答であり、其の延長である。若し原審裁判官が長谷川清に対し職権を以て積極的に法廷外書面回答を勧奨、要請して居なければ、長谷川清は少くとも第四回公判に出頭して居た筈であり、此の点は長谷川の右書面(二の(十二))に「家庭の事情があるので書面で回答する」とあるに徴して明白である。単に「家庭の事情」丈けを以て正当な不出頭理由に該当しないに不拘、原審は敢て長谷川の書面代用を許さずとして喚問を要請する手続を採らず、長谷川証人の証人調を取消して居るのであるが、是は原審裁判官が長谷川の右回答書に満足し長谷川の証言に代用する書面回答方申出を許容したものと解する外はない。以上の点からして原審は判決過程に於て書面審理を重視して居たことを窺はれると共に判決言渡後検事控訴を受けるや熱心な努力を傾けた職権調査が秘密審理の違法であることに気付き上訴記録送付に当り故意に右(十二)の手紙のみを残し、其の前提を為して居る原審職権調査書類たる回答要請書三通(二の(四)(六)(八))及回答書((五)(七)(九))を取外したものであること明白である。

以上縷説の理由に依り原審は憲法、裁判所法、刑訴法明定の対審公開規定に違反したこと明らかであるから破毀さる可きである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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